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Faraway featuring MERROW(NEUTRINO)

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「Faraway」

分かり合えてた 友は置き去り
ひとつになった 海も乾いた
ため息ついて 上を見上げた
手を伸ばしても 届かない場所さ

優しい声の 迎えが来ない
音も出せずに 鳴くこと出来ずに
いつかはどんな 夢を見るだろう
針の曲がった コンパスが回る

ねぇ どうして
僕だけが愛されないの

穏やかな 晴れた日には
傘を差し 僕は誰を待ってた
緩やかな 河の淵で
空を憧れる子供と石を集めてた

空虚のような 尊い自由
守られるもの 守るものもない
獄衣を纏い 自己暗示する
綺麗なままの 履けないシューズ

ねぇ どうして
君さえも愛されないの

穏やかな 晴れた日には
傘を差し 僕は誰を待ってた
半透明な 顔のない子供が
目的を亡くして 分からずいるよ

名前のない 君に捧ぐ
僕もまた 同じ名も無き子供
抱いてあげる 寒くないように
微笑んだ顔を知らない君が笑うまで

 

音域考えずメロディ作っちゃうの初心者DTMあるあるですよね。
案の定自分じゃ何しても歌えない歌ができたので
今作はめろうに歌ってもらいました。

テーマは「賽の河原」と「水子」です。

親に先立って亡くなった子供が苦を受けるとされる冥土にある
三途の川の河原です。
ここで子供は父母の幸せを願いながら小石を積み上げて塔を作ろうとするが
それを鬼にくずされる。それでもまた小石を積み上げて鬼にくずされる。
そうして小石で傷ついて血だらけになっても絶えず鬼にくずされる。

っていう話が「賽の河原」の話です。

中絶、死産、未熟児、幼児、どの段階で召されるのか関係なくみんなここで
石を積まされるのだそうですが、これは本来の仏教の教えではなく、
実際は地蔵菩薩が親代わりとなってくれて子供たちは概ね幸せには
過ごせるんだそうです。
ただそんな地蔵菩薩でさえも実親の愛情に叶わない。
ましてや中絶された子供なんて、
石を積んだところで親迎えに来ないんじゃないか、
迎えに来たところで自分の子供の顔なんてわかんないんじゃないか、
じゃあ子供は何のために石を積むんだろうと思うと
目的も分からなくなってくるの切ないなと思って、そんな気持ちを歌にしました。

親代わりになってくれている地蔵菩薩は元々誰なんだろうってふと思った時、
資料がなかったので真相はわからないのですが、
賽の河原で他の子供たちと同じように石を積んでた子供が、
気の遠くなるような長い時間をかけて徳を積んで地蔵菩薩になったのかなと
勝手にイメージしてます。

あ、ちなみに多分自分は仏教徒じゃないです。
宗教あるのかどうかもよくわかりません…。
でも親戚の葬式にはお経を唱えてもらい、クリスマスにはケーキを食べてるので、多分なんでもない家なんだと思います。

お時間ある時によければご視聴よろしくお願いいたします。

 

[NEUTRINO(歌声シンセサイザー)]
https://studio-neutrino.com/

[使用動画素材]
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